ただ鍼灸整骨院の施術者の多田 善雄です。

多田 善雄について

はり師

きゅう師

柔道整復師

関西に生まれ、21歳で鍼灸師になる。卒論は「鍼刺激が眼圧に及ぼす影響」でした。目関連の鍼には大学卒業後研究生としても勉強してました。

23歳で就職した接骨院では当時65歳以上の方にはサービスで鍼灸をしていたので1日に40人以上鍼をうつこともありました。大変でしたがいい経験になりました。

36歳で柔道整復師を目指しました。中年で柔道しなくてはいけなくなり授業で習った通り「30代後半からろっ骨骨折しやすくなる」のですが2回柔道で痛い体験しました。ほんと痛いですね。

 卒業後、関西に戻らずそのまま岐阜で就職しました。その時、診させていただいた男子高校生の夢が硬式野球をしていて全国制覇らしく少しこちらが遠慮して治療してしまい後悔しています。その後すぐに中津川分院を任されることになり中津川に住むことになりました。

中津川の方々の暖かさに助けながら治療を行ってました。いまでも覚えているのは、中京学院大学の学生さんとして来てくれた初めての患者さんMくんです。Mさんと書かなければいけませんが就職後も付き合いが続きMくんと呼ぶ仲になってしまいます。彼は、卓球部でした。

 後に知りますが、高校生の時は全国大会優勝したこともあるらしく強い選手でした。その時にひとつ夢を持つことにしました。

 

「スポーツで日本一になる選手を、自分の治療でサポートしたい」

 

岐阜市にいた頃、全国制覇を目指す高校球児に気後れしてしまいましたが、負けないように頑張りたい!

 

その思いからかスポーツによる怪我を負った学生が多く来て下さるようになりました。

 

野球少年も多く来てくれました。私自身、草野球以外野球をしたことは無く戸惑いましたがいい経験をいただきました。

 

しばらくして、学院大学の長距離を走る学生さんがきてくれるようになりました。メガネをかけたおとなしそうな外見の患者様でした。でも、よく話をしてくれました。長距離の選手は大学にはもう彼しかいなくひとりで走っていると聞き驚きました。

彼は調子を崩すと来てくれてました。よく話をしてくるのですが、やはりひとりで走ってるのでどこか寂しそう、勝手なこちらの印象だったかもしれません。しかし、なにか嬉しそうな表情をよくするようになった時があったのですが、それはしばらく新しいコーチが来てくれて一緒に走ってくれてるそうでした。その方は、実業団の長距離の選手だったのですが急に解雇になり大学に再就職し、次の年度からは短大のコーチとなるそうでした。それまでは、大学に在籍し彼と走ってくれるそうです。実業団にいた実力者、新しいコーチから彼が得たものは凄かったです。